男子フィギアスケート選手の羽生結弦さん。
2013年~2017年までの5年間、世界ランキング1位の実力を持っており、”フィギア界のプリンス”とも言われているんですよ。
そんな羽生結弦さんの父親は校長先生をやっており、母と姉はそっくりと言われています。
今回は、顔写真も含め家族事情を、詳しく紹介していきます。
Contents
- 1 羽生結弦の家族構成
- 2 羽生結弦の父親は校長で顔画像や名前も
- 3 羽生結弦と父親との仲良しエピも
- 4 羽生結弦は母親と顔がそっくり!名前も
- 5 羽生結弦と母親の仲良しエピも
- 5.1 羽生結弦の名前をつけたのは母親?
- 5.2 メダルを1番先にかけたのは母親
- 5.3 自分の身体の一部
- 5.4 スマホはアウト
- 5.5 運動神経の良さは母親譲り
- 5.6 英語がペラペラな理由とは?
- 5.7 母親には何でも話してしまう
- 5.8 親子は一つの細胞から出来ている
- 5.9 母親は安心できる場所を作ってくれる
- 5.10 僕が生まれた日は母が1番苦労した日
- 5.11 物心ついたときからバレンタインのチョコをもらっていた
- 5.12 髪の毛を切っていたのは母親
- 5.13 恋愛禁止令
- 5.14 衣装は母親の手作りだった
- 5.15 母親も海外練習へ同行
- 5.16 母親の教育方針が素晴らしいと噂
- 5.17 羽生結弦さんがCMで母親への感謝を語る
- 5.18 唐揚げは母親の手作り以外食べれない
- 6 羽生結弦には姉が1人!仲良しエピも
- 7 まとめ
羽生結弦の家族構成

羽生結弦さんの家族は4人家族です。
- 父親・羽生秀利さん
- 母親・羽生由美さん
- 姉・羽生さやさん
- 本人・羽生結弦さん
それでは、確認していきましょう。
羽生結弦の父親は校長で顔画像や名前も

羽生結弦さんの父親は”羽生秀利”さんといいます。
- 名前:羽生秀利(ひでとし)
- 年齢:50代
- 出身地:宮城県仙台市
父親は2014年まで石巻市にある「石巻市立漕湊中学校」で教師をしてきました。
ちなみに科目は数学だったようで、野球部の顧問をされていたんだとか。
その後、「利府町立しらかし台中学校」で教頭先生。

2016年には「塩竈市立第3中学校」で校長先生に就任しました。

ちなみにこちらは塩竈市立第3中学校の教員一覧となりますが、校長の部分に羽生結弦さんのお父さんの名前がありますね。
校長先生は教育委員会など様々な経験をする必要があります。
現在は50代とのことですが、これまで苦労や周りの方からの支持も凄かったからこそ今の校長先生という役職になれたのでしょう。
羽生結弦と父親との仲良しエピも

羽生結弦さんは、家族と仲がいいと言われており、父親とのエピソードも沢山あります。
校長先生の父、フィギアスケート選手の羽生結弦さん。
忙しい中、二人が信頼しあえる関係は父親の存在も大きいのではないでしょうか。
- 結弦という名前をつけたのは父親
- 実家はリラックスできる環境を整えている
- 精神的な柱のように家族を支えてくれてる存在
- フィギュアを継続しているのは父親のおかげ
- 優勝したことは偉いことではない
- 自主性を育てる
- 送り迎えは父親
- 父親からの言葉
- 羽生結弦さんが金メダルを取った時に父親が言った言葉
結弦という名前をつけたのは父親
羽生結弦さんの名前をつけたのは父親だったと女性自身が報じています。
弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい
人は、その語感からイメージされる「周囲の期待」に応えようと、そのように振るまったり、育っていくようになる
人の名前は非常に大切なモノと言われていますが、羽生結弦さんの言動を見ると父親の願いを体現したような性格をされていますね。
実家はリラックスできる環境を整えている

羽生結弦さんは2016年にマイレピのWEBインタビューでこのように語っています。
久々に実家に帰ると、父も姉も僕をまるで小さい子供のように可愛がってくれる。スケートの話もあまりせず、みんなでテレビの話題で盛り上がったり、ゲームを楽しんだりしています。時々口ゲンカもします(笑)。実家は僕が“素”に戻れる場所。とても心地よいです
こういった安心できる場所があるからこそ、羽生結弦さんはオンオフをハッキリできることができて、第一線で活躍しつづけられているのかもしれませんね。
精神的な柱のように家族を支えてくれてる存在
羽生結弦さんはインタビューでご自身の父親のことを以下のように語っています。
『精神的な柱のように家族を支えてくれてる』
実際に羽生結弦さんもフィギュアについて相談することが多いようで、実家に変えるときは抱えている悩みを相談したり。
色々と考え方などを教えてもらっているそうです。
フィギュアを継続しているのは父親のおかげ
羽生結弦さんがフィギュアを継続できているのは父親のおかげといわれています。
実際に小学生のときに羽生結弦さんはフィギュアスケートを辞めたくなったことがあったんだとか。
その時に父親はこうコメント。
『嫌ならやめてもいいんだぞ』
このように無理に続けさせようとせずに本人の自主性を大切にしているからこそのコメントですね。
自主性を育てる

羽生家の場合、あるときは密接で、あるときは突き放すという教育をされていた気がします。子供にやらせるのではなく、子供が関心を持ったことに、可能な限り協力する。子供の『自主性』を尊重するのが、羽生家の教育方針でした
このように羽生結弦さんの家庭では自主性を教育していたようです。
だからこそ、羽生結弦さんはストイックに競技に取り組む姿勢が出来たのかもしれませんね。
優勝したことが偉いことではない
こちらは女性自身で報じられた内容です。
“結弦だけじゃなくて、選手たちはみんな頑張っていますから。家族にとっては、優勝したことが偉いんじゃなくって、頑張ったことが素晴らしいんです。優勝自体は大したことじゃないんですよ
こちらは羽生結弦さんの父親の友人が『優勝、おめでとうございます』と会話した時の内容です。
どうしても結果に注目をしてしまいますが、傍で世界トップの選手を見ているからこそ、誰が勝ってもおかしくはない。
そう考えて、羽生結弦さんの父親はコメントされたのかもしれませんね。
羽生結弦さんの送り迎えは父親

4歳の頃からフィギアスケートを始めた羽生結弦さん。
宮城県仙台市に住んでいた羽生結弦さんは震災を乗り越え、フィギアスケートを続けてきました。
朝早くから遅くまで続く練習で毎日フィギアスケート漬けだった羽生結弦さんを送り迎えしていたのは、父親だったそうです。
その当時は、教頭先生でしたが羽生結弦さんの為に体力を振り絞って全力を尽くすなんてとてもカッコイイ父親ですよね。
教頭先生でありつつも、羽生結弦さんの事は片時も忘れない大切な息子だったんですね。
父親が何度も言い聞かせていた言葉
羽生結弦さんがフィギアスケートを続けている今、大切にしている言葉は父親からのある言葉なんです。
どんなにフィギアの練習が大変だったとしても、勉強だけは続けなさい。
将来は一流の選手である前に、一流の社会人になってほしい
この言葉を父親は、羽生結弦さんに何度も言い聞かせていました。
だからこそ、今現在の羽生結弦さんがいるんだなと実感しますね。
フィギアスケートのショーが終わった後の、”笑顔” とファンに対する ”振舞い”はどんな人でも魅了される素敵な行動ですよね。
それも、父親からの「一流の社会人になってほしい」という言葉があったからこそなのかと思います。
羽生結弦さんが金メダルを取った時に父親が言った言葉
羽生結弦さんが2018年に金メダルを受賞した時に父親が言った言葉は、息子愛がとても伝わってきますよね。
私たちが、しゃしゃりでて話すことは一切無い
頑張っているのは本人、親は関係ない。
冷たいようで、しっかりと息子愛が感じられる素敵な言葉ですよね。
色々な経験を積んできたからこそ、言える言葉なのでしょう。
父親と羽生結弦さんはエピソードを見る限り、互いに尊敬しあえる関係なのかなと思います。

羽生結弦は母親と顔がそっくり!名前も

羽生結弦さんの母親は、”羽生由美”さんです。
- 名前:羽生由美(ゆみ)さん
- 年齢:非公開
- 出身地:宮城県仙台市
年齢の公開はされていませんが、とても若々しく可愛らしい人ですね。
世界で活躍する羽生結弦さんの為に、母親としての役目をしっかりとこなし、支え続けてきた素敵な母親なんです。
現在は、専業主婦として家族を支え続けています。
羽生結弦と母親の仲良しエピも
羽生結弦さんと母親はとても仲良しと言われています。
そんな二人のエピソードも沢山あるんです。
- 羽生結弦の名前をつけたのは母親?
- メダルを1番最初にかけたのは母親
- 自分の身体の一部
- スマホはアウト
- 運動神経の良さは母親譲り
- 英語がペラペラな理由とは?
- 母親にはなんでも話してしまう
- 母親は安心できる環境を作ってくれる
- 親子は一つの細胞から出来ている
- 僕が生まれた日は母が1番苦労した日
- バレンタインのチョコレート
- 髪の毛を切っていたのは母親
- 恋愛禁止令
- 衣装は母親の手作りだった
- 母親も海外練習へ同行
- 母親の教育方針が凄い
- CMで母親への感謝を語る
- 唐揚げは母親の手作り以外食べれない
羽生結弦の名前をつけたのは母親?
羽生結弦さんの名前の由来は2つあるようです。
- 12月7日生まれで、射手座だから母親が名付けた(母親命名説)
- 弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい(父親命名説)
ちなみに①に関しては2011年の神戸新聞が報じている内容です。

そのため、母親が名付けたと言われていますが、一方で父親が名付けたと報じているサイトも。
父親が名付けたに関しては女性自身が報じており、ファンの中では真相が明らかになっていまいことのようです。
メダルを1番先にかけたのは母親
試合後は忙しくてなかなか時間がありませんでしたが、最初にメダルをかけたのは母でした。母は、そばにいてくれるだけで十分な存在です
こちらは2018年の平昌オリンピックで金メダルを獲得。
そしてP&Gグループのインタビューで母親に対して語ったときのコメントの一部です。
今まで支えてくれていたからこそ、1番最初にメダルをかけたという話は感動的ですよね。
自分の身体の一部
こちらは2015年に献血のイベントに参加されたときの羽生結弦さんのコメントです。
自分の身体の一部
母親からこうコメントをもらった羽生結弦さん。
この言葉を聞いたときは、ジーンと心に刺さったそうです。
スマホはアウト
本人は欲しいそうなんですが、お母さんが“スケートに集中しなさい”と言って持たせてくれなかったとか。なので、メールのやりとりはiPod touchなどのインターネット端末でしていました
こちらは週刊女性の報道です。
なんでも羽生結弦さんはスマホを持っていないようで、それは母親から言われたからなんだとか。
運動神経の良さは母親譲り
ゆづの運動神経と、あの体型は奥さん譲りでしょう。うちの家系は野球好きですが、運動が得意な家系ではないし、手足も長くないですから(笑)
こちらは週刊現代で羽生結弦さんの父方の親戚が明かした内容です。
羽生結弦さんはすらっとした体型で手足も長く、競技中は美しさがありますが、それは母親譲りなんだとか。
英語がペラペラな理由とは?
羽生結弦さんは英語ペラペラですが、これも母親のおかげなんだとか。
スケートだけを学ぶんじゃなく、ここで生活をしていくというつもりで頑張りなさい
カナダへ拠点を移した時に、英語が苦手だった羽生結弦さん。
そんな様子から母親が英語を話せるようにするために、アドバイスをしたのがこちらのコメントだったようです。
母親には何でも話してしまう

こちらは羽生結弦さんがマイレピで語った内容です。
母とは本当に何でもよく話をします。僕がなんでも言っちゃうタイプなので、自分の頭の中で考えたことをぶわーっと母に話しちゃいますね。(笑)
そのため、時には意見がぶつかることも度々あるんだとか。
ただ、一緒に喜びや楽しみを分け合えることが幸せともコメントしており、母親へ感謝の言葉を語っています。
親子は一つの細胞から出来ている
僕がそっとしておいて欲しいと思っているときには、言葉にしなくてもわかってくれるんですよね。もともと親子ってひとつの細胞からできているわけじゃないですか。親子だからこそわかる言葉にしなくても伝わる絆や愛情ってあると思います。
こちらもマイレピで語った内容となります。
親子だからこそ、言葉を交わさなくてもわかることがある。
これはファンの中でも人気なエピソードの1つとなっています。
母親は安心できる場所を作ってくれる
こちらは羽生結弦さんがマイレピで語った内容です。
母は、僕の考えを尊重してくれて、進む道をちゃんと未来まで見越した上で守ってくれています。例えば、「僕自身が、スケートを好きで始めた。」という気持ちを絶対に消さないでいてくれます。
このように羽生結弦さんが決めた道があれば、最大限のサポートをしてくれるんだとか。
平昌2018冬季オリンピック前に大きなケガをしたときも、ずっと母が側にいて、安心できる場所を作ってくれました。僕は母親の自分を犠牲にしてでも、息子を守りたいという愛情をひしひしと感じながら生きています。
このように感謝の気持ちを述べており、オリンピックでメダル獲得できたのもお母さんの存在があったからこそといっても過言ではないでしょう。
僕が生まれた日は母が1番苦労した日

こちらは19歳の誕生日に語ったコメントです。
「(7日で19歳)僕が生まれた日に一番苦労したのは母。両親に対する感謝を忘れずにいたい。小さい頃から「19歳で五輪に出る」と言ってきたので、19歳になったからこそ五輪をしっかり視野に入れたい
このようにいつも母親に対して感謝の気持ちを忘れずに過ごしている羽生結弦さんの心の綺麗さが見え隠れするエピソードですね。
物心ついたときからバレンタインのチョコをもらっていた
こちらは2016年のバレンタインでのコメントです。
母と姉から物心ついたときからチョコレートを頂いていました。
いつも美味しいチョコレートをもらったと感謝を述べています。
髪の毛を切っていたのは母親

小さい頃に羽生結弦さんの髪の毛をカットしていたのは母親だったそうです。
実際に練習の時間が多かったので、カットする時間もなかったのかもしれませんね。
恋愛禁止令
こちらは2015年に報じられた内容です。
なんでも羽生結弦さんはお母さんやコーチから恋愛禁止令をうけていたんだとか。
実際に交際していたかどうかはさておき、ユヅは若いので恋の噂が立つだけで振り回されてしまう。そこでお母さんやコーチが“恋愛は絶対にダメ”と口を酸っぱくして言い聞かせました。
実際に羽生結弦さんは女性とご飯くらい食べたいと感じていたようですが、我慢して練習に励んでいたようです。
ユヅとしては“たまには女の子の友達とご飯くらい食べるよ”と不満もあったようですが、前回の成績も含めあらぬ陰口を叩かれたくないので、これまで異常にスケートに打ち込んでいます
衣装は母親の手作りだった
こちらは2012年にワンダフル東北 東北未来人で羽生結弦さんが語った内容の一部です。
やっぱりお母さんとか夜中までずっと衣装にダイヤストーンをつけたりで夜更かししたりしてるんで、大変だなあと思いますね
そうですね、母親の愛情というかそういうものを感じながら滑れると思うので、違うと思います
ちなみに2010-2011シーズンまでは羽生結弦さんの母親が衣装を作っていたとコメントされています。
母親も海外練習へ同行

羽生結弦さんが17歳の時に、カナダのトロントに拠点を移動しました。
その時、一緒についていったのが母親でした。
洗濯や食事など生活を支えてくれて、フィギュア一本に集中できる環境を整えてくれているようです。
例年のシーズン中は、羽生選手とお母さんがカナダにいるので、家族でいられる時間は少ないようですが、2人が日本に帰ってくると、普通の家族のように一緒にテレビを見たりして過ごしていると聞いています
実際に女性自身でもカナダに一緒に住んでいることを報じていますが、母親あっての羽生結弦さんなのでしょう。
母親の教育方針が素晴らしいと噂
母親として羽生結弦さんを育て、立派なフィギアスケート選手まで昇り詰めることができたのは母親がいたからこそです。
そんな母親の教育方針が、凄いと言われています。
- 子供が関心を持ったことに、可能な限り協力する。
- 子供の自主性を尊重する。息子の為に、母親が勉強をする。
羽生結弦さんが学生時代に、成績が悪いと母親は「恋愛も携帯も禁止」で禁止令を出されていました。
それほどに、母親は教育熱心だったようですが、父親が学校の先生だった関係もあるのかもしれません。
勉強と、フィギアスケートの両立はとても大変だったと思いますが、それがあったからこその今の活躍と思うと、母親の影響は凄いですよね。
羽生結弦さんがCMで母親への感謝を語る
羽生結弦さんがガーナのCM撮影で母親への感謝を語っていました。
CMタイトルは”母ごころ”篇です。
終始笑顔の羽生結弦さんで、母親に対する感謝がしっかり伝わってきますよね。
幼少期から今まで、フィギアスケートを支えてくれ、息子として愛してくれている母親への感謝がとても伝わってくるような内容です。
唐揚げは母親の手作り以外食べれない
https://twitter.com/msmf40239/status/860847525023973376?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E860847525023973376%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=http%3A
羽生結弦さんは好きな食べ物として唐揚げをあげています。
ただ、母親の手作り以外の唐揚げは食べれないとコメントされていたようです。
ちなみにこちらの動画で唐揚げを食べている姿が映し出されています。

羽生結弦には姉が1人!仲良しエピも

羽生結弦さんの姉は、”羽生さや” さんです。
- 名前:羽生さやさん
- 年齢:1990年 羽生結弦さんより4つ上
- 出身地:宮城県仙台市
フィギアスケートをする羽生結弦さんを応援し、支え続けてくれた大事な家族です。
現在の職業は、噂によると”スケートリンクの職員”といわれています。
実際のところは分かりませんが、可能性は大いにあり得ますね。
- 羽生結弦さんがフィギアスケートを始めたきっかけは姉
- 姉は自分を犠牲にしてまでも、弟の夢を応援
羽生結弦さんがフィギアスケートを始めたきっかけは姉
羽生結弦さんが、4歳の時にフィギアスケートを始めたのは姉の影響なんだそうです。
先に姉のさやさんがフィギアスケートの教室に通っていて、興味を持った羽生結弦さんは教室に入ることになりました。
羽生結弦さんは生まれつき持っていた喘息を治すための目的もあり、屋内スポーツで埃の舞い上がりが少ないフィギアスケートで姉と一緒に練習に励んでいました。
姉がジャンプをする姿を見て「僕もやる」と好奇心旺盛に練習をしていたそうです。
姉が最初にフィギアスケートをやっていなければ今の羽生結弦さんはいないかもしれないので、姉の影響は大きかったのでしょうね。
姉は自分を犠牲にしてまでも、羽生結弦さんの夢を応援
フィギアスケートをするにあたって相当なお金が掛かってくるんですが、そんな羽生結弦さんの家庭は経済的な面で苦しかったそうです。
羽生結弦さんは家族を気遣い、小学生の頃に「僕がフィギアスケートを辞める」といいました。
姉は「結弦が辞めるなら、私が辞める」と強く主張し、羽生結弦さんにフィギアスケートの道を譲ることになりました。
結果的に、姉は高校生までフィギアスケートをつづけましたが、羽生結弦さんの才能を見て、弟にすべてを託すという意味で辞めることにしたそうです。
まだ幼い羽生結弦さんの才能を見極め、姉なりに優しさを出した結果なんでしょうね。

まとめ
今回は、羽生結弦さんの家族についてご紹介しました。
フィギアスケートで活躍している、世界で有名の羽生結弦さんは家族からも愛される素敵な人ということが分かりました。
これからも活躍を祈り応援していきたいと思います。