フィギュアスケーターの羽生結弦さん。
そんな羽生結弦さんですが、父親は中学校の校長のようです。
また羽生結弦さんのお父さんは教育方針もキチンとされておりネットでも話題です。
今回の記事では羽生結弦さんの父親の顔画像を交えつつ、エピソードを紹介していきます。
Contents
【顔画像】羽生結弦の父親の名前

こちらは羽生結弦さんの父親の顔画像となります。
名前は”羽生秀利(ひでとし)”さんで、年齢は50代とのことです。
- 名前:羽生秀利(ひでとし)
- 年齢:50代
- 出身地:宮城県仙台市
そんな羽生結弦さんの父親ですが、仕事は一体なにをしているのでしょうか。
羽生結弦の父親は中学校の校長先生

羽生結弦さんの父親の教師としての経歴はこちらです。
- 2014年まで石巻市にある「石巻市立漕湊中学校」で教師
- 利府町立しらかし台中学校で教頭先生へ
- 2016年に塩竈市立第3中学校で校長先生に就任
現在は校長先生ですが、校長になるためには教育委員会など様々な経験をする必要があります。
ちなみに父親は教師時代は数学を教えていたそうです。
現在は50代とのことですが、これまで苦労や周りの方からの支持も凄かったからこそ今の校長先生という役職になれたのでしょう。
羽生結弦と父親との仲良しエピも

羽生結弦さんは父親と仲が良いようで、沢山のエピソードがあります。
- 結弦という名前をつけたのは父親
- 実家はリラックスできる環境を整えている
- 精神的な柱のように家族を支えてくれてる存在
- フィギュアを継続しているのは父親のおかげ
- 優勝したことは偉いことではない
- 自主性を育てる
- 送り迎えは父親
- 父親からの言葉
- 羽生結弦さんが金メダルを取った時に父親が言った言葉
それぞれ確認をしていきましょう。
結弦という名前をつけたのは父親
羽生結弦さんの名前をつけたのは父親だったと女性自身が報じています。
弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい
人は、その語感からイメージされる「周囲の期待」に応えようと、そのように振るまったり、育っていくようになる
人の名前は非常に大切なモノと言われていますが、羽生結弦さんの言動を見ると父親の願いを体現したような性格をされていますね。
実家はリラックスできる環境を整えている

羽生結弦さんは2016年にマイレピのWEBインタビューでこのように語っています。
久々に実家に帰ると、父も姉も僕をまるで小さい子供のように可愛がってくれる。スケートの話もあまりせず、みんなでテレビの話題で盛り上がったり、ゲームを楽しんだりしています。時々口ゲンカもします(笑)。実家は僕が“素”に戻れる場所。とても心地よいです
こういった安心できる場所があるからこそ、羽生結弦さんはオンオフをハッキリできることができて、第一線で活躍しつづけられているのかもしれませんね。
精神的な柱のように家族を支えてくれてる存在
羽生結弦さんはインタビューでご自身の父親のことを以下のように語っています。
『精神的な柱のように家族を支えてくれてる』
実際に羽生結弦さんもフィギュアについて相談することが多いようで、実家に変えるときは抱えている悩みを相談したり。
色々と考え方などを教えてもらっているそうです。
フィギュアを継続しているのは父親のおかげ
羽生結弦さんがフィギュアを継続できているのは父親のおかげといわれています。
実際に小学生のときに羽生結弦さんはフィギュアスケートを辞めたくなったことがあったんだとか。
その時に父親はこうコメント。
『嫌ならやめてもいいんだぞ』
このように無理に続けさせようとせずに本人の自主性を大切にしているからこそのコメントですね。
自主性を育てる

羽生家の場合、あるときは密接で、あるときは突き放すという教育をされていた気がします。子供にやらせるのではなく、子供が関心を持ったことに、可能な限り協力する。子供の『自主性』を尊重するのが、羽生家の教育方針でした
このように羽生結弦さんの家庭では自主性を教育していたようです。
だからこそ、羽生結弦さんはストイックに競技に取り組む姿勢が出来たのかもしれませんね。
優勝したことが偉いことではない
こちらは女性自身で報じられた内容です。
“結弦だけじゃなくて、選手たちはみんな頑張っていますから。家族にとっては、優勝したことが偉いんじゃなくって、頑張ったことが素晴らしいんです。優勝自体は大したことじゃないんですよ
こちらは羽生結弦さんの父親の友人が『優勝、おめでとうございます』と会話した時の内容です。
どうしても結果に注目をしてしまいますが、傍で世界トップの選手を見ているからこそ、誰が勝ってもおかしくはない。
そう考えて、羽生結弦さんの父親はコメントされたのかもしれませんね。
羽生結弦さんの送り迎えは父親

4歳の頃からフィギアスケートを始めた羽生結弦さん。
宮城県仙台市に住んでいた羽生結弦さんは震災を乗り越え、フィギアスケートを続けてきました。
朝早くから遅くまで続く練習で毎日フィギアスケート漬けだった羽生結弦さんを送り迎えしていたのは、父親だったそうです。
その当時は、教頭先生でしたが羽生結弦さんの為に体力を振り絞って全力を尽くすなんてとてもカッコイイ父親ですよね。
教頭先生でありつつも、羽生結弦さんの事は片時も忘れない大切な息子だったんですね。
父親が何度も言い聞かせていた言葉
羽生結弦さんがフィギアスケートを続けている今、大切にしている言葉は父親からのある言葉なんです。
どんなにフィギアの練習が大変だったとしても、勉強だけは続けなさい。
将来は一流の選手である前に、一流の社会人になってほしい
この言葉を父親は、羽生結弦さんに何度も言い聞かせていました。
だからこそ、今現在の羽生結弦さんがいるんだなと実感しますね。
フィギアスケートのショーが終わった後の、”笑顔” とファンに対する ”振舞い”はどんな人でも魅了される素敵な行動ですよね。
それも、父親からの「一流の社会人になってほしい」という言葉があったからこそなのかと思います。
羽生結弦さんが金メダルを取った時に父親が言った言葉
羽生結弦さんが2018年に金メダルを受賞した時に父親が言った言葉は、息子愛がとても伝わってきますよね。
私たちが、しゃしゃりでて話すことは一切無い
頑張っているのは本人、親は関係ない。
冷たいようで、しっかりと息子愛が感じられる素敵な言葉ですよね。
色々な経験を積んできたからこそ、言える言葉なのでしょう。
父親と羽生結弦さんはエピソードを見る限り、互いに尊敬しあえる関係なのかなと思います。
まとめ
今回の記事では羽生結弦さんの父親について紹介していきました。
羽生結弦さんの競技に取り組む姿勢は父親の考え方あったからこそという感じですね。
また他の記事でも家族について紹介しているので、ぜひご覧ください。